京都大学大学院ドイツ文芸表象論奥田研究室最新情報

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

文系研究者の環境~最適なPC③~(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

つまり、前回述べた自身のPCのSSDが最旧型のSATA接続なのだが、このSATA接続と、最先端のNVMe接続というウルトラど級品とを比べて、体感上の違いが感じられないというのが大方の意見である(後にも書くがNVMeなどが必要なのは動画・ゲームの使用という雲の上の世界の話であろう)HDDでも特に不満を覚えていないであろう鈍感の御仁らと、そして私にも、SATA接続で十分なのである。それだけSSDが革新的なテクノロジーだったのだが、しかもそれが、SATA接続・120GB(・中華品)なら現在2300円台にまで値下がっている。途方もない時代になっている。今月Amazonタイムセールで2100円にもなっている
そう、このたった約半世紀のストレージの進化だけを見てもIT技術の進歩と一般への普及は驚天動地のモノで、買わないと損だという分野だと言えよう。
そして前々回書いたようにWindows10からは自作しないと損なぐらいであるし、OS上だけでなく、予算上も、自作のための至れり尽くせりのメーカー配慮上も、そうである。

確かにCorei3-8100だと、例えば現在重たくて仕方なくなっているGmailをコンマ数秒で開くという能力なのだが、それでも、PC操作全体では、前回記事で書いたPentium G630と特段目立った能力差を感知することまではそれほど無い。G630でモタつく何らかの操作の何であってもi3ならモタつかないとか、グラフィックが格段綺麗だとかいう違い等があるぐらい。というより、確認してるわけじゃないが、例えばAdobe最新ソフト等のクリエイティブ系操作ならG630がシンドかったであろう。一方i3-8100はこういった操作はもちろん動画編集・ゲームという高等作業もある程度ならこなせる。
つまり高等な操作でこそCoreシリーズとPentiumの差がやっと見えるのだろう。一方私の操作環境はネサフ・つべ1080動画再生・Officeソフト(Wordのみ)、WavePadでmp3編集、スキャニングしたPDFファイル(一番重くて170MB程度)をCubePDF Utilityで継ぎ接ぎ、といった程度のものに過ぎない。大方のライトユーザーつまり文系研究者ならもっと安易軽量な操作環境だろう。Pentiumで何を不便するか。いや、Celeronで十分なのである……
特に第7世代以降のCeleronと来たら

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

文系研究者の環境~最適なPC②~(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

拡張性もスペックも不要なのである。前回記事で記した構成にストレージがTranscendのSSD(120GB・TLC)TS120GSSD220S だが、これ旧PCから引き継いだもの。(Windowsは10からマザボ・CPU換装に対応しているから、Windowsなら今はPC自作に恵まれている時期である。)その旧PCが2012年6月中旬にソフマップなんば店ザウルス2で買ってから使ってた「Lenovo H330 11856BJ」で、CPUがPentium G630というロートルなのだが、使用5年目近くの2017年2月にこのSSDにOS移したら驚異的な爆速になった。PC向上のための様々な方法を聞くと思うが、真偽諸説芬々のなかで、SSDにするというのは100%効き目があって、超向上したという話(レビュー・コメント・記事等々)しか存在せず、いまだにHDDでモッサリどんくさ動作をしているPCは全部SSDに替えろ。というようなもので、ロートルCPUでも、ストレージがストレージなら、問題なかった。(現に、今のPC(前回記事)が電源ボタン押してWin10立ち上がってFirefox立ち上がるまでに33秒だが、6年目のLenovoでもそうだった。このH330、メルカリで売却、今も稼働しているのである……。)
まず、大多数の文系研究者があまりに凄まじくITに疎いから、手持ちの恐らく鎌倉時代当たりから使っているであろうPCをSSDに換装するだけで、世界が変わる。PCって速いんだ ……… と半泣きになり地団駄を踏みよだれを流しビルの7階まで転げまわること間違いない。SSD換装だけでも、文系研究者という縄文人には十分×十分×十分×のアドバイスである。よって、

前回記事に書いた廉価マザボ。廉価と言っても現在の品はスーパーテクノロジー



終わり。


という訳には無論いかず、次回に話が続く。

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

文系研究者の環境~最適なPC①~(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

自分のPCなどインテルCorei3-8100を積んでるが、完全にオーバースペックである。
インテルCPU、今年9月に値上がりしだして、1万3000円台だったこのCore i3-8100が9月中旬にAmazon上で1万4000円台になり出して、焦って価格.com経由のツクモ(TSUKUMO)で1万3178円で買ったが、現在(2018.12.18)ツクモ(TSUKUMO)で1万5480円Amazonで1万9480円。値上がりには諸説あるが、このままではいかないだろう、来年には下がるとしか考えられない。初冬にCorei9の最新が出ていて今後も邁進するインテルが不適正価格を続けるだろうか。

Coreiシリーズ最廉価だが、CPUスペックは世代に依る。8100は第7世代のi5を凌ぐベンチマークを出す





とにかく9月に
CPU:インテルCorei3-8100
マザボ:ASRock H310M-HDV/M.2
メモリ:PATRIOT DDR4 2666MHz PSD48G2666KH(4GBx2枚組)
電源:玄人志向 KRPW-BKシリーズ 80PLUS Bronze 550W ATX電源 KRPW-BK550W/85+
という構成、外部品に
ケース:Thermaltake Versa H17 CS7096 CA-1J1-00S1NN-00
中華安ファン:Kyerivs 120mm 青LED 12v(2個)
という構成でPC自作している。電源デカすぎ、グラボも何も必要なくケースデカすぎだし、マザボも拡張性不要でここまで格安で可。そもそもCPUが(貧乏人なりの)「ロマン重視」で奮発しているが、こんなスペック不要。


自作PC背面
今どきのケースは裏面配線設計と至れり尽くせり


























確かにCPUがヘボいとヒドいことにはなる。例えば2017年11月末に2万5990円も出して「HP Stream 11-y003TU」を買っているがこれが激遅。ネット回線が悪いのではない。天下のアスキーのサイトにこれのストレージをSSDに換装しようとしている愚行記事があるが、全くの無駄。

買ってはいけない
AtomコアCPUのPC
色が可愛すぎてつい…

OS立ち上がりや更新等はHDDほど絶望的モッサリではないからeMMCというストレージは何も悪くない。ただただ「Celeron N3050」というCPUが悪いだけ。後でも述べるがCeleron自体は悪くないこう「N」付きだとコアがAtomなのだという紛い物。ただ、遅すぎてかなり殴っているが全く故障の気配なく耐久力が証明されてはいる。

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

第6号の『文芸表象論集』編集記(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

2週間近く前だが12月2日(日)に、我々奥田研究室が属している「文芸表象論分野」発刊の『文芸表象論集』の編集をしていた。
この編集というのだが、前号から、文芸表象論分野の英米文学所属の高橋一馬氏が引き受けている。次巻も高橋氏が編集長を務められるということで役割が確定しているが、例えば2015年発刊第2号では中岡(松浦)翔子氏が編集を主に務めて私が補助、2016年発刊第3号などでは工藤人生が編集を主に担当して私が補助、という役割分担で、私、第4~5巻がノータッチだが第6巻には投稿するので高橋氏を多少手伝った。編集といって今のご時世ハサミ・ノリ・原稿用紙・インクでなにしてという原始的な行為は無論なくWordとPDFの編集ということ。
(なお、特に文系だが学術者は総じてPC上の常識が無く学会・学校等あらゆるところで異PC間で同一Officeファイルを遣り取りなどという非常識なことを平気でやっているが、うちもそれは全く同様でござる。と言うより、Wordに限って見ても、漢字仮名が打てるタイプライターという理解の外を出ていず、スタイル定義やフィールドコード使用やマクロといった最低限のオリジナル操作もしていないから、異PC間で同一Officeファイルを遣り取りしても見かけ上は問題が発生しないのである。あたかも、特定の理性的高等生物には致命的となるウイルス・細菌も低度の生物だと発症せず保有していられるというかのごとく。無頓着には勝てないなあ、何たって文字を出版して暮らしている文系研究者、文字があってなんぼの人々がフォントにもこだわらないという有様(惨状)なのだから!!)
よって編集作業は人間・環境学研究科が有るキャンパスの一角に位置する文芸表象論分野研究生室のPC上で専らやっています。


編集長の作業風景の1つ

編集長の作業風景の1つ

編集長と松波の共同作業中の風景(中谷森さんによる撮影)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

教員雑記:大谷大学出講記③(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

上御霊神社大門

上御霊神社から大谷大学までのバイパス

大谷大学+至成堂書店

大谷大学キャンパス内紅葉





























紫明通に出て烏丸通にでる。大谷大学が見えてくると、例の至成堂書店が隣接している。自分は北大路組じゃないですな。ビブレも未訪。しかしGooleBooksとAmazon、KindleとPDF、スキャナーとクラウドの時代に、書店ですらアレなのに、遺物のような洋書店が健在。書店で手に取って本という物体を買うのが喜びという認知バイアス……




古い列車は古いレールを走って

古い車輪が軋む





授業が終わって現在12月上旬だともう薄暗い感じ。ゆうて帰りも観光だがな!帰りは、10月頃に行きの道にしていた寺町通をコースにして、阿弥陀寺にまず寄って、そこから本満寺に入って見るのだが、冬の暮れ前の小雨、境内で工事していると来ては、写真も映えない。ただそれでも通勤路として抜群の空気なのではあるが。

大谷大学近辺烏丸通

阿弥陀寺


本満寺境内
























こうして、出町柳5番出入口へと向かう。今日も出町桝形商店街を通って帰ったが、そうでない時もあったし、帰りに烏丸通を行き過ぎて同志社大学を横目に、今出川通から賀茂大橋を帰ったことも2~3度。

出町柳近く鴨川①

出町柳近く鴨川②

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

教員雑記:大谷大学出講記②(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

そもそもが風光明媚な京都市、ここで通勤通学すると日々是観光三昧になる。この半期限定で大谷大学に3・4コマ目に出講、11:00頃にに出町柳から大学まで徒歩30分以内で通う(自分は可能ならいつも授業開始1時間前に教室に入る)。その間の京都の街並と寺社仏閣が観光したい放題となる。

まず賀茂大橋の北のデルタに掛かる小橋を通って例の商店街を通るコース。

出町桝形商店街入口

出町桝形商店街内部

出町桝形商店街+井上果物店



















幸神町を通りながら幸神社の観光、オードブル。

幸神社

幸神社+鳥居

幸神社向かい民家






















京都市立京極幼稚園の傍に差し掛かると、いよいよ相国寺が見えて来る。

相国寺入口

相国寺境内














相国寺はいつもは帰り道に通っていたが、行きに通ってもいい。西に抜けると砂利と殺風景しか無い京都御苑。烏丸通にいったん向かって慈雲院も見ておこう。

相国寺境内北

慈雲院付近

慈雲院















東に戻って上御霊前通に出て、西にコースを戻してすぐに上御霊神社が見えて来る。上御霊神社を抜けて烏丸通から東側のバイパスを抜けて大谷大学に向かう。

上御霊神社入口

上御霊神社境内

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

教員雑記:大谷大学出講記①(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

今年後期(9月下旬)から大谷大学でコマを2個いただいている。どちらも慶聞館のK410。ここは非常にフレッシュな新築であるものの、キャンバスは全体に由緒と歴史に溢れていて、京都の奥の深い大学の1つである。
3コマ目の「ドイツ文学特殊演習」では講読形式にしていて、ジークフリート・レンツ(Siegfried Lenz, 1926-2014)の短篇「Das Examen」を読んでいる。
4コマ目の「ドイツ文学特殊講義」では、モーツァルトの『魔笛』と、音楽史上も名高いゲーテの「魔王」とを題材に、18~19世紀のドイツ表象芸術に見る「魔」的なものの解明と描写に力を注いでいる。特に「魔王」のようなバラード(物語詩)は私の研究領域であるが、専門的な講義内容と並行して、古典作品の≪受容(die Rezeption)≫という観点も導入して、ゲーテの「魔王」がシューベルト、カール・レーヴェから始まり2000年代の音楽シーンにまで受け継がれ、ドイツ最有名にして世界最高とも言えるバンド・ラムシュタイン(Rammstein)の「Dalai Lama」という曲、日本航空123便墜落事故(1985)を主題にしたこの曲で日本に着地(陸)する様子を講義して、「受容」史というものの理解の一助にしようと努めている。また「魔笛」の場合にも≪受容≫という観点から、特に舞台演出が決定的にものを言うオペラというのもあって、いわゆる現代演出の諸相を紹介して、《古典》が200年もすればいかな風に受容されるのかということを可視的にしつつ、出席者の関心を高めようとしている。

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

ドイツの売れっ子作家にメールしてみる(松波烈)

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室

2017年11月のことですが今記事にする。

この年にPetra Hülsmann『Das Leben fällt, wohin es will』(ISBN: 9783404175222)というティーン向け小説(2017)を読んでいて、作中に14世紀の海賊「フィタリエンブリューダー〔Vitalienbrüder〕」の1人Klaus Störtebekerの伝説が出てくるが、詳細はウィキペディア雑記事で確認できるとして、つまり何らかの「長」的な人物が斬首刑にされる際に斬首後に走って通り過ぎた数の部下の命を救って欲しいと言って本当に実行してしまうというモチーフが気になった。読んだ覚えがあるからだ。確かにこれはグリムの『伝説集』の1話でもある。Diez Schwinburgがそれで、Störtebekerからグリムまでつながる糸が有るのだろうか。小説ではStörtebekerがこの業で「がっつり12メートル」走って「30人以上」を救ったと書いてあり(190頁)、ウィキペディアには11人→約束破られ部下73人全員処刑/またはそもそも全員処刑とある。グリム側の数字は「4人」。Störtebeker・グリムのこのモチーフつながりを扱っているウェブ上の記事がMünchner Sagen, G‘schichten und Legenden | Am Marienplatz Teil 2のみ。
そこでHülsmann氏にメールしたところ何と2週間後に返事が来た。秘書が書かれたのかとも思うが、一応回答を下さった。北独ではStörtebeker伝説が色々あって精確さは言っても仕方なく「30人」に特に意味は無く、「12メートル」はStörtebekerの映画「12 Meter ohne Kopf」(2009)からで、グリムとのつながりも関知せずとのこと。けんもほろろながとにかく回答は得られた。

* * * * * * * * * *         < メ ー ル の 話 こ こ ま で >         * * * * * * * * * *

そしてそもそもこれは私独自の問題で、ここまで読んでいるうちに気付かれたはずだが、このモチーフが近年で最も日本で見られたのは、高名な(そして私の聖書)「バキ」シリーズの『範馬刃牙』の第19巻の32~37頁、鎬紅葉が語る逸話であり、言葉を濁しているが絵を見ると舞台を戦国時代日本にしている。これには日本語の典拠があるとしか考えられず、われわれ調査隊は独自のリサーチを進め、典拠であろうものとして、まず1990年出版の『グリムドイツ伝説集』下巻(189頁)(ISBN: 9784409530108)や、Schwinburg譚を収録した1984年出版の『世界の怪談―怖い話をするときに』(ISBN: 9784584300381)(182頁)や、他に、斬首後に生きて動く人体というだけの事だが1968年出版の『定本坂口安吾全集』第2巻収録の「五月の詩」冒頭部分(398頁)などに突き当たった。また斬首後に生きて動く人体というモチーフを主題にした2009年のエンタメもので『多聞寺討伐』(ISBN: 9784594059224)所収「大江戸打首異聞」なども見つかる。
そしてこうしてきたところで??Störtebeker→グリム→??日本のつながりの糸が皆目見出せない、資料が無さすぎる、装備が無さ過ぎる。個人には不可能な在源研究なのだろうか。今のところグリムまでのSchwinburgの諸形態が分かっている。1689年のEberhard Werner Happel『Grösste Denkwürdigkeiten der Welt』所収「生きてる屍〔Der wandelnde Todte〕」(425頁)では「Dietz von Schauenburg」である。その後「Dietz von Schaumberg」になって、Johann Heinrichs von Falkenstein『Antiquitates Nordgavienses』内の記事(175頁)でこのSchaumbergの偉業が1337年と記す。次に見つかる文献が1818年出版グリム『伝説集』第2巻で上記の如く「Diez Schwinburg」(203~204頁)。その後1835年にJoseph Hormayr, Baron zu HortenburgTaschenbuch für die vaterländische Geschichteの「恩人首無し〔Der Retter ohne Kopf〕」(442~443頁)が「Dietz von Schweinburg」として当人物の前史から記述して、やはり偉業を1337年と記している。この「Dietz von Schweinburg」を今度はKarl Gottfried von Leitnerが「1307年」のこととと記しつつバラードにする。1843年出版のAlbum aus Oesterreich ob der Enns199~203頁で。
この件に関して詳しくはこちらで述べている。

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室