京都大学大学院ドイツ文芸表象論奥田研究室最新情報

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
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第1回・文系研究者の環境~最適なPC①~(松波烈)

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自分のPCなどCorei3-8100というCPUを積んでるが、完全にオーバースペックである。CPUというのはパソコンの性能を決定するもので、メーカーものを買うなら、特にノートPCを買うなら、気にすべき唯一のポイントのこと。現在一般人が用のあるIntelのCPU性能(価格)順を書くと:Corei9 > Corei7 > Corei5 > Corei3 > Pentium > Celeron > (Atom)となる。
インテルCPU、今年9月に値上がりし出して、1万3000円台だったこのCore i3-8100が9月中旬にAmazon上で1万4000円台になり出して、焦って価格.com経由のツクモ(TSUKUMO)で1万3178円で買ったが、現在(2018.12.18)ツクモ(TSUKUMO)で1万5480円Amazonで1万9480円。値上がりには諸説あるが、このままではいかないだろう、来年には下がるとしか考えられない。今年後半に第9世代(i5/i3/i9の)が登場していて今後も邁進するインテルが、このまま不適正価格を続けるだろうか。とにかく9月に
CPU:Intel Corei3-8100
マザボ:ASRock H310M-HDV/M.2
メモリ:PATRIOT DDR4(4GBx2枚組)
電源:玄人志向 KRPW-BK550W/85+
ケース:Thermaltake Versa H17
中華安ファン:Kyerivs 120mm 青LED 12v(2個)
という構成でPC自作している。電源容量大きすぎで、グラボも何も必要ないからケースのサイズが有り余ってる。一方マザボは拡張性不要なのでここまで格安で可。そもそもCPUが(貧乏人なりの)「ロマン重視」で奮発しているが、到底Corei3の能力など自分には不要である。(8100はCoreiシリーズ最廉価だが、CPUスペックは世代に依る。8100は前世代のi5を凌ぐベンチマークを出す
と自分のPCのCPUが能力過剰とは言っても、しかしCPUがヘボいと実際ヒドいことにはなる。例えば2017年11月末に2万5990円も出して「HP Stream 11-y003TU」を買っているがこれが激遅。ネット回線が悪いのではないし、OS立ち上がりや更新等はHDDほど絶望的モッサリではないからeMMCというストレージも何も悪くない。天下のアスキーのサイトにこれのストレージをSSDに換装しようとしている愚行記事(eMMCをどうやって換装する気だ。アスキーにはたまに物凄い無知記事が上がる)があるが、全くの無駄である。ただただ「Celeron N3050」というCPUが悪いだけ。後でも述べるがCeleron自体は悪くないのだが、こう「N」が付いている型番はコアがAtomなのだという。それはCeleron紛い物である。AtomノートPC同然である。(左画像が自作PC背面。今どきのケースは裏面配線設計と至れり尽くせり。)

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第6号の『文芸表象論集』編集記(松波烈)

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2週間近く前だが12月2日(日)に、我々奥田研究室が属している「文芸表象論分野」発刊の『文芸表象論集』の編集をしていた。
この編集というのだが、前号から、文芸表象論分野の英米文学所属の高橋一馬氏が引き受けている。今までには、例えば2015年発刊第2号では中岡(松浦)翔子氏が編集を主に務めて私が補助、2016年発刊第3号などでは工藤人生氏が編集を主に担当して私が補助、という役割分担で、私 第4~5巻がノータッチだが第6巻には投稿するので高橋氏を多少手伝った。

編集長の作業風景の1つ

編集長の作業風景の1つ

編集長と寄稿者の共同作業中の風景

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教員雑記:出講記③(松波烈)

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紫明通に出て烏丸通に出る。大谷大学が見えてくると、例の至成堂書店が隣接している(自分は北大路組じゃないですな。ビブレも未訪)。GooleBooksとAmazon、KindleとPDF、スキャナーとクラウドの時代、書店ですらアレな時代に健在の洋書店。

授業が終わって現在12月上旬だともう薄暗い。ゆうて帰りも観光だがな!帰りは、10月頃に行きの道にしていた寺町通をコースにして、阿弥陀寺にまず寄って、そこから本満寺に入って見るのだが、冬の暮れ前の小雨、境内で工事していると来ては、写真も映えない。ただそれでも通勤路として抜群の空気なのではあるが。
こうして、出町柳5番出入口へと向かう。今日も出町桝形商店街を通って帰ったが、そうでない時もあったし、帰りに烏丸通を行き過ぎて同志社大学を横目に、今出川通から賀茂大橋を帰ったことも2~3度。

上御霊神社大門

上御霊神社から大谷大学までのバイパス

大谷大学+至成堂書店

大谷大学キャンパス内紅葉

大谷大学近辺烏丸通

阿弥陀寺

本満寺境内

出町柳近く鴨川①

出町柳近く鴨川②

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教員雑記:出講記②(松波烈)

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そもそもが風光明媚な京都市、ここで通勤通学すると日々是観光三昧になる。この半期限定で大谷大学に3・4コマ目に出講、11:00頃にに出町柳から大学まで徒歩30分以内で通う(自分は可能ならいつも授業開始1時間前に教室に入る)。その間の京都の街並と寺社仏閣が観光したい放題となる。

まず賀茂大橋の北のデルタに掛かる小橋を通って例の商店街を通るコース。幸神町を通りながら幸神社の観光、オードブル。京都市立京極幼稚園の傍に差し掛かると、いよいよ相国寺が見えて来る。相国寺はいつもは帰り道に通っていたが、行きに通ってもいい。西に抜けると砂利と殺風景しか無い京都御苑。烏丸通にいったん向かって慈雲院も見ておこう。東に戻って上御霊前通に出て、西にコースを戻してすぐに上御霊神社が見えて来る。上御霊神社を抜けて烏丸通から東側のバイパスを抜けて大谷大学に向かう。

出町桝形商店街入口

出町桝形商店街内部

出町桝形商店街+井上果物店

幸神社

幸神社+鳥居

幸神社向かい民家

相国寺入口

相国寺境内

相国寺境内北

慈雲院付近

慈雲院

上御霊神社入口

上御霊神社境内

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教員雑記:出講記①(松波烈)

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今年後期(9月下旬)から大谷大学でコマを2個いただいている。どちらも慶聞館のK410。ここは非常にフレッシュな新築であるものの、キャンバスは全体に由緒と歴史に溢れていて、京都の奥の深い大学の1つである。
3コマ目の「ドイツ文学特殊演習」では講読形式にしていて、ジークフリート・レンツ(Siegfried Lenz, 1926-2014)の短篇「Das Examen」を読んでいる。
4コマ目の「ドイツ文学特殊講義」では、モーツァルトの『魔笛』と、音楽史上も名高いゲーテの「魔王」とを題材に、18~19世紀のドイツ表象芸術に見る「魔」的なものの解明と描写に力を注いでいる。特に「魔王」のようなバラード(物語詩)は私の研究領域であるが、専門的な講義内容と並行して、古典作品の《受容(die Rezeption)》という観点も導入して、ゲーテの「魔王」がシューベルト、カール・レーヴェから始まり2000年代の音楽シーンにまで受け継がれ、ドイツ最有名にして世界最高とも言えるバンド・ラムシュタイン(Rammstein)のDalai Lamaという曲、日本航空123便墜落事故(1985)を主題にしたこの曲で日本に着地(陸)する様子を講義して、「受容」史というものの理解の一助にしようと努めている。また「魔笛」の場合にも《受容》という観点から、特に舞台演出が決定的にものを言うオペラというのもあって、いわゆる現代演出の諸相を紹介して、《古典》が200年もすればいかな風に受容されるのかということを可視的にしつつ、出席者の関心を高めようとしている。

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
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ドイツ文学と日本文学(松波烈)

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2017年にPetra Hülsmann『Das Leben fällt, wohin es will』(ISBN: 9783404175222)というティーン向け小説(2017)を読んでいて、作中に14世紀の海賊「フィタリエンブリューダー〔Vitalienbrüder〕」の1人Klaus Störtebekerの伝説が出てくるが、詳細はウィキペディア雑記事で確認できるとして、つまり何らかの「長」的な人物が斬首刑にされる際に斬首後に走って通り過ぎた数の部下の命を救って欲しいと言って本当に実行してしまうというモチーフが気になった。読んだ覚えがあるからだ。確かにこれはグリムの『伝説集』の1話でもある。Diez Schwinburgがそれで、Störtebekerからグリムまでつながる糸が有るのだろうか。小説ではStörtebekerがこの業で「がっつり12メートル」走って「30人以上」を救ったと書いてあり(190頁)、ウィキペディアには11人→約束破られ部下73人全員処刑/またはそもそも全員処刑とある。グリム側の数字は「4人」。Störtebeker・グリムのこのモチーフつながりを扱っているウェブ上の記事がMünchner Sagen, G‘schichten und Legenden | Am Marienplatz Teil 2のみ。他に、映画「12 Meter ohne Kopf」(2009)との関係も考えられる。

このモチーフが近年で日本でも見らる。「バキ」シリーズの『範馬刃牙』の第19巻の32~37頁、鎬紅葉が語る逸話であり、言葉を濁しているが絵を見ると舞台を戦国時代日本にしている。これには日本語の典拠があるとしか考えられず、われわれは独自の調査を進め、典拠であろうものとして、まず1990年出版の『グリムドイツ伝説集』下巻(189頁)(ISBN: 9784409530108)や、Schwinburg譚を収録した1984年出版の『世界の怪談―怖い話をするときに』(ISBN: 9784584300381)(182頁)や、他に、斬首後に生きて動く人体というだけの事だが1968年出版の『定本坂口安吾全集』第2巻収録の「五月の詩」冒頭部分(398頁)などに突き当たった。また斬首後に生きて動く人体というモチーフを主題にした2009年のエンタメもので『多聞寺討伐』(ISBN: 9784594059224)所収「大江戸打首異聞」なども見つかる。
そしてこうしてきたところで??Störtebeker→グリム→??日本のつながりの糸が皆目見出せない、資料が無さすぎる、装備が無さ過ぎる。個人には不可能な在源研究なのだろうか。今のところグリムまでのSchwinburgの諸形態が分かっている。1689年のEberhard Werner Happel『Grösste Denkwürdigkeiten der Welt』所収「生きてる屍〔Der wandelnde Todte〕」(425頁)では「Dietz von Schauenburg」である。その後「Dietz von Schaumberg」になって、Johann Heinrichs von Falkenstein『Antiquitates Nordgavienses』内の記事(175頁)でこのSchaumbergの偉業が1337年と記す。次に見つかる文献が1818年出版グリム『伝説集』第2巻で上記の如く「Diez Schwinburg」(203~204頁)。その後1835年にJoseph Hormayr, Baron zu HortenburgTaschenbuch für die vaterländische Geschichteの「恩人首無し〔Der Retter ohne Kopf〕」(442~443頁)が「Dietz von Schweinburg」として当人物の前史から記述して、やはり偉業を1337年と記している。この「Dietz von Schweinburg」を今度はKarl Gottfried von Leitnerが「1307年」のこととと記しつつバラードにする(1843年出版のAlbum aus Oesterreich ob der Enns199~203頁)。

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教員雑記:読んできたテキスト(松波烈)

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2017年、講読の授業を1つ担当して、半期だけの担当だったが、下記を授業で読んでいる。

・ シュヌレ(Wolfdietrich Schnurre, 1920-1989)の「Das Manöver〔軍事演習〕」、1952年の作品。
これのテキストはReclam文庫のショートストーリー集『Klassische Deutsche Kurzgeschichten』から。
黙示録的光景である。羊に殺される将官の様子が、ベトナム編で勇次郎に殺される散歩将官を彷彿させる。羊は危ないし強い。牛も危ないし強い。三びきのやぎのがらがらどん……

・ ヒルデスハイマ(Wolfgang Hildesheimer, 1916-1991)のショートストーリー「1956 – Ein Pilzjahr〔ピルツ周年1956〕」、1951年の作品。
これのテキストは短篇集『Lieblose Legenden』から。歴史に架空の人物を潜り込ませて歴史上の出来事や実在の人物の業績の原因と成らせるというフィクション手法だが、当短篇集には他にもこういった手法の作品がある。ところでそういったものとして特段有名なのは、ドイツ語圏のショートストーリーではなくて、もちろん「フォレスト・ガンプ」(1985/1994)である。他に、例えば芸術物品に自分独自の感情と理屈で惑溺してこれの法律抵触的毀損行為に及ぶというモチーフでは三島由紀夫『金閣寺』(1956)が特段に有名だが、このモチーフではゲオルク・ハイムの『アンソロジー・窃盗』(1913)最後の作品「窃盗」(レクラム文庫などに収録)が先であろう。

・ ドイツの各地方を舞台にした「Mordlandschaften」シリーズの1冊で2013年に出たミステリーアンソロジー『Heide, Harz und Hackebeil: Niedersachsens blutige Seite』から掌編を3点、Eva Almstädt「Im Pietzmoor mit Petra」・Peter Godazgar「Der Aufschneider」・Tatjana Kruse「Kotz-Brocken」。
現代日本同様ドイツでもミステリー花盛り。後期のテキストがミステリー手法なので、前期で極短で平易で内容も浅い作品を読んで準備段階、とした。

・ その後期、書簡以外はすべて原文読んでるハインリヒ・フォン・クライスト御大の「Die heilige Cäcilie oder die Gewalt der Musik – Eine Legende」。
この作品だが、原題を忠実に直訳すると、「セシリア尼物語もとい音楽という暴力(聖人伝を書いてみた結果)」ということになる。いや、こう書いてるんです。不定冠詞を理解していないと、最悪の場合「ドイツレクイエム」式の意味不明訳になる。Ein deutsches Requiemも正しくは「レクイエムをドイツ語でやってみた」という意味である。さてこの通り題名からして多義的で、内容もこれでもかと多義的、前期のテキストを大きくはるかに超えて過酷な文章、読みごたえがある。

2018年には中級ドイツ語の授業を2つ担当しており、19世紀のドイツ語に触れたいという要望に答えて、
・ シラー『美的教育』第24書簡を原文で読んでいる。

2019年にも講読授業を1ついただいており、今度はクライストの「マリオネット劇場論」とその研究論文(ロマン主義解釈・デ構築な解釈・サイバネティクス解釈)を読むと既にシラバスを提出している。

さらに今後、今までに読んできた文学作品、例えばイングリト・ノル『Falsche Zungen』、ローバト・メナセ『Sinnliche Gewißheit』、フェリクス・ダーン『Die Bataver』(ca. 1890)、Friedrich Wilhelm Mader『El Dorado』(1904)、Rudolph Stratz や Jodocus Temme や Peter Rosegger や Wilhelm Raabe や Fanny zu Reventlow や Oskar Panizza や Walther Kabel や Lena Christの作品等を取り上げる機会があれば(いいな)と思う。

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