京都大学大学院ドイツ文芸表象論奥田研究室最新情報

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
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教員雑記:大谷大学出講記①(松波烈)

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今年後期(9月下旬)から大谷大学でコマを2個いただいている。どちらも慶聞館のK410。ここは非常にフレッシュな新築であるものの、キャンバスは全体に由緒と歴史に溢れていて、京都の奥の深い大学の1つである。
3コマ目の「ドイツ文学特殊演習」では講読形式にしていて、ジークフリート・レンツ(Siegfried Lenz, 1926-2014)の短篇「Das Examen」を読んでいる。
4コマ目の「ドイツ文学特殊講義」では、モーツァルトの『魔笛』と、音楽史上も名高いゲーテの「魔王」とを題材に、18~19世紀のドイツ表象芸術に見る「魔」的なものの解明と描写に力を注いでいる。特に「魔王」のようなバラード(物語詩)は私の研究領域であるが、専門的な講義内容と並行して、古典作品の《受容(die Rezeption)》という観点も導入して、ゲーテの「魔王」がシューベルト、カール・レーヴェから始まり2000年代の音楽シーンにまで受け継がれ、ドイツ最有名にして世界最高とも言えるバンド・ラムシュタイン(Rammstein)のDalai Lamaという曲、日本航空123便墜落事故(1985)を主題にしたこの曲で日本に着地(陸)する様子を講義して、「受容」史というものの理解の一助にしようと努めている。また「魔笛」の場合にも《受容》という観点から、特に舞台演出が決定的にものを言うオペラというのもあって、いわゆる現代演出の諸相を紹介して、《古典》が200年もすればいかな風に受容されるのかということを可視的にしつつ、出席者の関心を高めようとしている。

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ドイツ文学と日本文学(松波烈)

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2017年にPetra Hülsmann『Das Leben fällt, wohin es will』(ISBN: 9783404175222)というティーン向け小説(2017)を読んでいて、作中に14世紀の海賊「フィタリエンブリューダー〔Vitalienbrüder〕」の1人Klaus Störtebekerの伝説が出てくるが、詳細はウィキペディア雑記事で確認できるとして、つまり何らかの「長」的な人物が斬首刑にされる際に斬首後に走って通り過ぎた数の部下の命を救って欲しいと言って本当に実行してしまうというモチーフが気になった。読んだ覚えがあるからだ。確かにこれはグリムの『伝説集』の1話でもある。Diez Schwinburgがそれで、Störtebekerからグリムまでつながる糸が有るのだろうか。小説ではStörtebekerがこの業で「がっつり12メートル」走って「30人以上」を救ったと書いてあり(190頁)、ウィキペディアには11人→約束破られ部下73人全員処刑/またはそもそも全員処刑とある。グリム側の数字は「4人」。Störtebeker・グリムのこのモチーフつながりを扱っているウェブ上の記事がMünchner Sagen, G‘schichten und Legenden | Am Marienplatz Teil 2のみ。他に、映画「12 Meter ohne Kopf」(2009)との関係も考えられる。

このモチーフが近年で日本でも見らる。「バキ」シリーズの『範馬刃牙』の第19巻の32~37頁、鎬紅葉が語る逸話であり、言葉を濁しているが絵を見ると舞台を戦国時代日本にしている。これには日本語の典拠があるとしか考えられず、われわれは独自の調査を進め、典拠であろうものとして、まず1990年出版の『グリムドイツ伝説集』下巻(189頁)(ISBN: 9784409530108)や、Schwinburg譚を収録した1984年出版の『世界の怪談―怖い話をするときに』(ISBN: 9784584300381)(182頁)や、他に、斬首後に生きて動く人体というだけの事だが1968年出版の『定本坂口安吾全集』第2巻収録の「五月の詩」冒頭部分(398頁)などに突き当たった。また斬首後に生きて動く人体というモチーフを主題にした2009年のエンタメもので『多聞寺討伐』(ISBN: 9784594059224)所収「大江戸打首異聞」なども見つかる。
そしてこうしてきたところで??Störtebeker→グリム→??日本のつながりの糸が皆目見出せない、資料が無さすぎる、装備が無さ過ぎる。個人には不可能な在源研究なのだろうか。今のところグリムまでのSchwinburgの諸形態が分かっている。1689年のEberhard Werner Happel『Grösste Denkwürdigkeiten der Welt』所収「生きてる屍〔Der wandelnde Todte〕」(425頁)では「Dietz von Schauenburg」である。その後「Dietz von Schaumberg」になって、Johann Heinrichs von Falkenstein『Antiquitates Nordgavienses』内の記事(175頁)でこのSchaumbergの偉業が1337年と記す。次に見つかる文献が1818年出版グリム『伝説集』第2巻で上記の如く「Diez Schwinburg」(203~204頁)。その後1835年にJoseph Hormayr, Baron zu HortenburgTaschenbuch für die vaterländische Geschichteの「恩人首無し〔Der Retter ohne Kopf〕」(442~443頁)が「Dietz von Schweinburg」として当人物の前史から記述して、やはり偉業を1337年と記している。この「Dietz von Schweinburg」を今度はKarl Gottfried von Leitnerが「1307年」のこととと記しつつバラードにする(1843年出版のAlbum aus Oesterreich ob der Enns199~203頁)。

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教員雑記:読んできたテキスト(松波烈)

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2017年、講読の授業を1つ担当して、半期だけの担当だったが、下記を授業で読んでいる。

・ シュヌレ(Wolfdietrich Schnurre, 1920-1989)の「Das Manöver〔軍事演習〕」、1952年の作品。
これのテキストはReclam文庫のショートストーリー集『Klassische Deutsche Kurzgeschichten』から。
黙示録的光景である。羊に殺される将官の様子が、ベトナム編で勇次郎に殺される散歩将官を彷彿させる。羊は危ないし強い。牛も危ないし強い。三びきのやぎのがらがらどん……

・ ヒルデスハイマ(Wolfgang Hildesheimer, 1916-1991)のショートストーリー「1956 – Ein Pilzjahr〔ピルツ周年1956〕」、1951年の作品。
これのテキストは短篇集『Lieblose Legenden』から。歴史に架空の人物を潜り込ませて歴史上の出来事や実在の人物の業績の原因と成らせるというフィクション手法だが、当短篇集には他にもこういった手法の作品がある。ところでそういったものとして特段有名なのは、ドイツ語圏のショートストーリーではなくて、もちろん「フォレスト・ガンプ」(1985/1994)である。他に、例えば芸術物品に自分独自の感情と理屈で惑溺してこれの法律抵触的毀損行為に及ぶというモチーフでは三島由紀夫『金閣寺』(1956)が特段に有名だが、このモチーフではゲオルク・ハイムの『アンソロジー・窃盗』(1913)最後の作品「窃盗」(レクラム文庫などに収録)が先であろう。

・ ドイツの各地方を舞台にした「Mordlandschaften」シリーズの1冊で2013年に出たミステリーアンソロジー『Heide, Harz und Hackebeil: Niedersachsens blutige Seite』から掌編を3点、Eva Almstädt「Im Pietzmoor mit Petra」・Peter Godazgar「Der Aufschneider」・Tatjana Kruse「Kotz-Brocken」。
現代日本同様ドイツでもミステリー花盛り。後期のテキストがミステリー手法なので、前期で極短で平易で内容も浅い作品を読んで準備段階、とした。

・ その後期、書簡以外はすべて原文読んでるハインリヒ・フォン・クライスト御大の「Die heilige Cäcilie oder die Gewalt der Musik – Eine Legende」。
この作品だが、原題を忠実に直訳すると、「セシリア尼物語もとい音楽という暴力(聖人伝を書いてみた結果)」ということになる。いや、こう書いてるんです。不定冠詞を理解していないと、最悪の場合「ドイツレクイエム」式の意味不明訳になる。Ein deutsches Requiemも正しくは「レクイエムをドイツ語でやってみた」という意味である。さてこの通り題名からして多義的で、内容もこれでもかと多義的、前期のテキストを大きくはるかに超えて過酷な文章、読みごたえがある。

2018年には中級ドイツ語の授業を2つ担当しており、19世紀のドイツ語に触れたいという要望に答えて、
・ シラー『美的教育』第24書簡を原文で読んでいる。

2019年にも講読授業を1ついただいており、今度はクライストの「マリオネット劇場論」とその研究論文(ロマン主義解釈・デ構築な解釈・サイバネティクス解釈)を読むと既にシラバスを提出している。

さらに今後、今までに読んできた文学作品、例えばイングリト・ノル『Falsche Zungen』、ローバト・メナセ『Sinnliche Gewißheit』、フェリクス・ダーン『Die Bataver』(ca. 1890)、Friedrich Wilhelm Mader『El Dorado』(1904)、Rudolph Stratz や Jodocus Temme や Peter Rosegger や Wilhelm Raabe や Fanny zu Reventlow や Oskar Panizza や Walther Kabel や Lena Christの作品等を取り上げる機会があれば(いいな)と思う。

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JGG京都支部春季研究発表会(延期)

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7月7日に開催するはずだったJGG京都支部会ですが、「平成30年7月豪雨」に阻まれて、中止になりました。
今回の発表予定者に、さらに別の予定発表者を加えて、大ボリュームの研究報告会が12月に開催されます。

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準・メルクル指揮、深作健太演出による二期会公演「ローエングリン」を見る(奥田)

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近年のオペラ演出は、時として原作を改作するほど大胆な演出が多いが、その中でも今回の演出は際立ったものであった。私は恐れを知らない大胆さの点で、ワーグナーのひ孫であるカタリーナの「マイスタージンガー」を思い出した。双方ともいわば二世として(深作も高名な映画監督を父に持つ)冒涜とも取られかねない実験が許容されやすかったのかも知れない。

ところで、何と舞台で展開されるのは、ローエングリン自身ではなく、その伝説の騎士(特に第一幕への前奏曲)に魅了されたルートヴィヒ2世の物語だという設定である。ルートヴィヒ2世のワーグナーとローエングリンに対する崇拝ぶりは有名であるが、作品をめぐるそのような後日譚を作品の中に取り込んでしまった訳である。この設定には、神話や伝説をいかに受容すべきかという問題を、作品のテーマとして大きくクローズアップしたいという意図があるのだろうし、その他にもさまざまな工夫や仕掛けがあって、いろいろと挑発的に考えさせられる点は確かに評価できるが、それらの設定や仕掛けがいわば頭でっかちで未消化に終わり、作品全体として訴える力を発揮するには至っていないと感じた。

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