京都大学大学院ドイツ文芸表象論奥田研究室最新情報

京都大学ドイツ文芸表象論(奥田)研究室
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第45回・文系研究者の環境~旅行編~(松波烈)

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現代は自室に居ながらにして世界中の映像を見ることのできる時代であるものだが、旅行することそのものもしやすくなっていて、その著述もしやすくなっていて、その発信もしやすくなっていて、その上でなのかその出版もしやすくなっているようで、それ故なのかどうかは不明だが旅行記冒険記系の出版状況が元気なようである。近年のそういった著作を主に、印象深い旅行記系の本を紹介してみたい。(COVID-19以前に書いた文章です。)

初めに、そういった中で最も面白く読めるものをいきなり挙げてしまうが、宮城公博『外道クライマーがそれで、これ以上に面白かったものはない。

終わり。

という訳にも行かず続くのであるが、今挙げたもののような山系登山系だが、冬山モノや登頂モノといった本格(扱いなのだろう)系ほど面白くなく、そういったものでないものほど好ましいことになる。例えば吉田勝次、『洞窟ばか』も『素晴らしき洞窟探検の世界』も非常に読ませる名作だ。

今述べたように好き嫌いをハッキリさせるものであるからこそ言っておくが、自分は、沢木耕太郎も下川裕治も蔵前仁一も高野秀行も宮田珠己も角幡唯介も特に感心しないし、『何でも見てやろう』周辺のインテリ旅行記には一切感心しない。

また、↑ こういった大御所連ほど避けたいものでもないが、著者の思想中心の著述も避けなくもないところである。したがって服部文祥などは挙げないことになる(とはいえ、読まなくもない、大御所連と違って)。

さらに、一般的な旅行者なら呻吟する様々な状況や場面や行動などがどこ吹く風となるような、そういった日常的な遣り取りなどにかかずらってなどいられず自分(たち)には大目標があるのだという大義抱えた方々も、読んで得られるものが一切なく、相手にする気がない。つまり、明らかに難儀であり未知のことばかりである海外の旅という場面で移動も手続きも注文も取得も交渉も会話も最初から知っていたかのようにそつなくこなす世慣れ旅慣れのそういったご立派な連中などではなくて、素人臭あふれるというか、他愛のないことにまつわる苦労また苦労が描かれる、日常的な些事に一喜一憂という内容が、好ましいものになる。

例えば、有名どころだと『ガンジス河でバタフライ』など、非有名どころだと『世界中で危ない目に遭ってきました』など。ただしここまでごく普通の旅行を膨らませてもどうかというところではある。(そういった、特に何の変哲もない旅行を特別なもののように見せる文章の力が特に印象的な著作者としてゲッツ板谷が居るもので、国内旅行記東南アジア旅行記どれもかつて夢中で読み漁ったものだが、今考えると感心しない内容が少なくないし、その文章も、後述するさくら剛のようなもっと強烈な文章と体験談の前にかすんでしまう。それでも『タイ怪人紀行』・『出禁上等!』ぐらいは挙げておく。ゲッツ板谷本に似たところで『アジア「罰当たり」旅行』を思い出すが余り印象に残っていない。)また、後者に見られるバックパッカーにありがちな薬物系大麻系自慢や、前者に見られる現地で〇〇してもらいました自慢など、いかがなものかというものである。なお、どういった旅行記にもほぼ必ずあることだが、当地の人の宅に招かれるなり泊めてもらうなり、どこそこに送ってもらうなり案内してもらうなり、ひどい時には物品を恵まれるなり何らかの融通を効かせてもらうなり、その他何らかのお世話になる等々といった、一銭も払わずに相手にコストを持たせる「恩」話が書かれるものだが、考えてみればこれは、無銭飲食を自慢しているに等しいことであろう。その最も悪質なものが ヒッチハイクであろう。こういったことに関して無償の親切なり見返りを求めない好意なりの美談とされるものだが、けだし履き違えもいいところではなかろうか。

さて生活臭ということだと別に「旅」行記に限らずとも海外生活を読ませるものとして『老いて男はアジアをめざす』といった面白いものがあるが、そういった現地移住モノ現地生活モノの中で掛け値なしに最高の古典中の古典が、林美恵子『医者も結婚もやめて ジャングルへ行く!』だ。「体当たり」な海外挑戦モノとしてはこれ以上のものは想像が付かない。発表後四半世紀近くも経った今では知名度ゼロにも等しい作品となっているが、読んで得るものは一等充実している。

女性が著者と言えば峠恵子『冒険歌手 珍・世界最悪の旅 』など名著の中の名著である。表紙や著者本職から受ける印象と違ってイロモノな内容では全くなく、本格的な冒険記モノである。いや、そういった本の中で並外れて筆致が堅実で精緻なほうでもある。それでいて、航行に伴う苦労話が何とも面白くて仕方なく、読ませるも読ませる。しかも航行編が往復の移動にすぎず、本目的の島探検が輪をかけて密度の高い内容になっている。類書同サイズ本ではボリュームが推定最高密度であろう。冒険の内容自体も、このご時世によくぞこんな冒険を…という内容になっている。

林氏のように冒険時期自体が大分昔となると、田中真知『たまたまザイール、またコンゴ』も逸品である。過酷な川下り自体も読ませるが、「オナトラ船」の描写に目まいがすることばかりが記憶に残る。是非ともそこに行きたくないがしかし是非ともそこを知りたくて見たくてたまらないというそういった現地を克明に伝えてくれるもの、これこそ旅行記の最たる醍醐味である。

また、昔日と言えば、『青春を山に賭けて』が挙がる。植村直己はほぼ全部読んでいるが、本書の感銘がやはり別格である。一体何十万人の人を感動させ、何万人の人を奮い立たせ、何千人の人を海外と山岳へ送ったのだろうか。今読んでも何ら色褪せない内容だが、今これと同等の旅行と冒険をしなければならない事情はもはやどこにも無い。植村氏のような規格外の人物など登場しようがない。そういった人物であり、この人にしか出来ないと思わせる事が書かれるばかりだというのに、一流やプロや大物といった臭気を一切まったく発していない。並外れた人物の並外れた行動が書かれているはずなのに、親しみを感じさせる、そういった筆致である。

さてそこで思い出すのがもちろん野口健、特に『落ちこぼれてエベレスト』だ。野口氏が植村氏に捧げるリスペクトには目頭熱いものがある。自分は植村さんの「弟子」なんですからと言ってのけた野口氏、この人も実に泥臭く、不器用と言えばいいのであろうタイプだ。いくつもの失敗談やずさん談によって、抜群の読み応えである。

そして、戦後最大の冒険家さくら剛氏である。アフリカ編中国編東南アジア編インド編、無類の名著であり、サイトのほうも是非併せて読みたいものだ。この人が旅行というものと日本語の文章というものに拓いたパイニオア的偉業は、人類が泳遠に記臆するだろう。この人は、トイレ事情書かなければならないことを書いた。例えば、イスラエルとパレスチナ自治区での滞在(そこでもトイレ事情)。例えば、ジャングル単独行。例えば、自分から進んで土産屋に連れて行かれ、占い師と対決する場面。いずれにせよトイレ事情 それらを綴る、革命的な文体。およそ現在時点で若者でいるというすべての旅行予定者が必読必携のさくら剛旅行記シリーズである。

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